出来事
少女像のなぞが解き明かされる(2)完結編
今回は本校の少女像を製作してくださった山田武さんと、少女像の製作過程について、皆様にお知らせしたいと思います。
この方が山田武さんです。山田さんは当時原町第三中学校の美術の先生でした。残念ながら数年前にお亡くなりになられたそうですが、今回、山田先生の奥様から情報提供者様を通して当時の製作の様子を綴ったアルバムをお借りすることができましたので、ご紹介したいと思います。
この資料によると、製作期間は昭和54年1月15日~3月20日。約2ヶ月間。製作場所は原三中の美術室のようです。奥様の話によると、当時の卒業生の保護者さんから人づてに頼まれたのではないかとのこと。アルバムには製作工程の写真が細かく残されていました。
(1)構想
構想の際のメモとして、「あこがれや希望」「自然に親しむ姿」「健康や愛情」…と書かれていました。当時の学校や保護者の願いを基に山田先生がミニチュアの試作品を4体作り、一番しっくりくる少女像を選ばれたようです。
(2)原型づくり
早速、油粘土で型となる立像を作成。重みもあるので、中に芯を入れたり、かぎ棒をつけたりして支えたとのこと。少女の気持ちが伝わってくる見事な像。すばらしい腕前です。(実は山田先生はこの地域でたくさんの作品を残してくださっているとても有名な方でした。失礼いたしました。)
(3)石膏ふりかけ
隙間や空間がないように、石膏をしっかり付けていく作業。さらに重みが増していったのでさらに支えを増やすなどのご苦労があったようです。
(4)粘土抜き
石膏が固まった後、所々に窓を開け、そこから中の粘土や芯を取り除く作業。驚いたのは中学生が行っているところ。おそらく美術部などの子だったのでしょう。結構たくさんの生徒さんが手伝ってくれています。
(5)鉄芯入れ
ぽっかり空間ができた型の中心に鉄芯(12mm)を入れ、そのあとさらに細部に細い芯を入れていったようです。
(6)セメント流し込み
セメント・砂・砂利を混ぜ合わせ、よくこねたものを低いところから注入。隙間ができないよう、入念な作業が続いたものと思われます。
(7)割り出し
セメントを入れて1週間養生した後、いよいよまわりの型を取っていく作業です。傷を付けないよう細心の注意を払ってくださっています。
(8)補修
型の石膏を取り除き、像をしっかり洗った後、全体をサンドペーパーでやすりがけ。作品につやが出てきたような気がします。
(9)塗装
最後に塗料を塗って仕上げ。・・ここまで簡単に9つの工程で紹介しましたが、実際には倍の工程がありました。2ヶ月間、細かい作業を積み重ねて、少女像は完成したのです。
(10)設置
原三中から軽トラで運ばれてきた少女像を関係者の皆さんで設置しているところです。やはり台座は古いままです。もとの像を取り除き、そこに新しい少女像を設置したようです。
以上が少女像に関するレポートの一切です。今回、当時の情報にたくさん触れることによって、二小のことがいろいろと分かったのでうれしくなってレポートを続けました。私が一番感じたことは「いつの時代も親や地域の皆様は子ども達の健やかな成長を願っている」ということでした。その象徴としての少女像。やっぱり大切にしていきたいと、改めて感じました。
貴重な情報を教えてくださった情報提供者様、そして資料を喜んで貸してくださった山田先生の奥様、本当にありがとうございました。
米粉だんごを作ろう:1年生活科
朝、1年生の子が「今日は初めての調理実習なんです」とお話ししてくれました。「何を作るの?」「だんごー」「楽しみだねえ」というやりとりをしたので、ちょっとのぞいてみました。作り方を教えてくださるのは、今日もまたJAふくしま未来の田部さんです。
まずは米粉をこねる作業から。1年生はグループに分かれて、協力をしながらこねこねしていました。
次はだんごに丸める作業です。手をしっかりと消毒しながら、上手に丸めることができました。
丸めた後はゆでて、あんこ、きなこ、みたらしをかけて出来上がり。いよいよ試食タイムです。「黙食ですよ」と注意されながら、笑顔で食べていました。感想を聞くと、小声で「美味しいです」と教えてくれました。
私が感心したのは、子ども達がJAの方の話を聞くときの態度と返事です。話をしっかり聞こうとする姿がたくさん見られましたし、返事の声も大きく、成長の跡が伺えました。ともに学び、ともに育つ。1年生、がんばっていますね。
寒い朝:登校時のエピソード
今朝の登校時。気温は7℃。冬の始まりを予感させる寒さ到来です。背中を丸めて「寒いです~」と言って登校してくる子がたくさんいました。
また、朝7時過ぎ頃に来て、寒い中、学校が開くのをじっと待っていたお子さんもいました。昇降口の開門は7:20です。20分過ぎに登校するようお願いいたします。(ちなみに昇降口の扉を閉めるのは7:55です。)
本校の昇降口は北向きなので、この季節は朝日も当たらず、ひときわ寒い感じがします。温かい手袋をして登校してくる子も増えてきました。保護者の皆様、そろそろ温かい上着・手袋・マフラー等のご準備よろしくお願いします。
中には、寒さに負けず、元気なお子さんも・・・。5年生の男の子は元気な笑顔であいさつしてくれました。「子どもは風の子、元気な子」彼の明るく元気な姿を見習って、寒いときほど、元気を出していこうと校長も身を引き締めました。
とは言っても、いつも立っている場所は冷たい風がものすごく吹いていて、寒さにまだ慣れていない老体にはつらいものがありました。明日以降は指先まで温かい手袋を持ってこようと考えています。
ある6年生に「寒くないですか」と尋ねたところ、「校長先生こそ、寒くないですか。お疲れさまです」と言って頂きました。心の中が温かくなりました。徐々に寒さに慣れていき、子ども達と元気にあいさつできるようがんばります。
少女像のなぞが解き明かされる(1)
先週の少女像の記事を見て、二小の卒業生の方から、次のような情報を頂きました。
「今から40年前は、あの場所を「交通公園」と言い、そこに立つ像は「あふるるのぞみ」と呼んでいました。石こうで作られたもので、だいぶ老朽化していたのを覚えています。写真で載っていたもの、そのものでした。」
なるほど。以前、立っていた像は石膏像だったようです。もう少しはっきりした写真はないかと、過去の卒業アルバムを見ていたところ、昭和46年度の卒業写真に以下のような写真が残っていました。
まさに「あふるるのぞみ」「希望の像」ですね。この像は石膏像だったため、おそらく年月を経て石膏が劣化し、老朽化したため「交代」となった・・という仮説が成り立ちました。情報提供者様は当時二小に通っていた小学生でしたので確かな情報です。情報提供ありがとうございました。
ところで、情報提供者様からは、以下のような情報もいただきました。
「当時の校舎の正面玄関に球体の石像がありました。これを「きよらにすめり」と書いていないでしょうか?今の校舎の玄関付近にあるかと思います。合わせて、旧体育館前に白鳥が数羽、石こうで作成された像がありました。これを「ゆたかにひろし」と言っていました。校歌の1番・2番・3番の和田甫氏の校歌と同調するようになっていたかと思います。「きよらにすめり」と「ゆたかにひろし」は反対かもしれません参考にまでお知らせいたします。」
これも、卒業アルバムで確かめてみました。
確かに、球体の石像は校舎北側に現存します。白鳥は旧体育館の南側にあったようですが、これも希望の像とともに、今はありません。ただ、どちらにしても、校歌の一節と合わせて呼んでいたり、卒業生がそれらの像のまわりで写真撮影を行っていたりしているので、当時の原二小にとって大切なシンボルだったのだと思います。
以上、今回のリポートはここまで。実は、「少女像」のなぞの核心に迫る情報をもう1件頂いております。資料を整理して、後日、お伝えします。少女像を作った方はどのような方なのか?どんな思いで製作されたのか?乞うご期待。To be continued.
SDGsについて考えました:6年生総合
6年生はSDGs(持続可能な開発目標)について、調べ、自分なりの考えをまとめ、発表する学習に取り組んでいます。発表にあたっては、ペッパーにプログラミングして効果的に伝えることができるようにしたり、伝える内容をパワーポイントにまとめて聞いている人に分かりやすくしたりして、いろいろと工夫していました。
SDGsは難しい題材だと思いますが、こうやって子どものうちから意識することによって、未来の社会がより良い方向に進んでいくのではないかと感じました。
この学習はプログラミング学習の一環で取り組んでいるものです。ペッパーを思い通りに動かすには、指示や条件を考慮して、一つ一つプログラミングをしていく必要があります。プログラミング学習は論理的思考力を高めることにつながります。これをきっかけに、電化製品などに入っている機械やゲームなどのプログラミングなどについて興味を持つお子さんもいるかもしれません。