日誌

少女像の土台工事:少女像のなぞを追究してみました

 昨日、校庭東の交通公園に設置している少女像の台座の工事を行いました。先月の安全点検の折、この少女像がぐらぐらしていることに本校職員が気付きました。確認してみると、像の台座と土台を接着しているモルタルが劣化のために剥がれてきているようでした。早速、市教育委員会に報告したところ、急遽工事をして頂くことになりました。

 業者さんがクレーンで少女像を移動させた後、土台上部を新しくするとともに、中に芯を入れて補強して頂きました。その後、土台と少女像の台座を接着させ、工事が終了しました。これで一安心です。

 ところで、この少女像については、以前から疑問に感じる点がありました。

 台座についている銘板には「希望 贈 昭和三十九年度卒業生」とあるのに、像の足下には「贈 立像 昭和53年度卒業生一同」と別の銘板があるのです。「もしかしたら、この土台には別の物がのっていたのかもしれない・・」と感じ、学校に残っている古い資料を見てみました。すると、昭和40年3月のPTA新聞に以下のような記事が載っていました。 

 この土台には元々白い像が建っていたようです。当時の人々の思いが詰まった希望の像。それが昭和53年度に何らかの理由でこの少女像に替わってしまったようです。「昭和54年3月20日に除幕式及び寄贈式を行った」という記録も見つかりました。しかし、どんな理由で白い像がお役御免になったのかについては記録を見つけることができませんでした。

 少女像の足下裏側には「制作者 山田 武」とありました。どこの方かは分かりません。手元の資料で調べることができたのはここまででした。

 最後に今回の工事を行ってくれた業者さんから次のようなお話を聞くことができました。「この像は良い像ですよ。視線が斜め上を向いている。そして、向いている方向が良い。校舎の子ども達を見守っているかのようだ。」

 確かに、少女像の視線の先には原町二小の校舎があり、二小の子ども達を見守ってくれているように見えます。その話を聞いた私は「この少女像は子ども達を見守る女神像なのかもしれない。大切にしていこう。」と思いました。業者さん、ありがとうございました。新たな視点を持つことができました。

※この少女像について詳細をご存じの方は、校長まで情報をお寄せください。 To be continued.