こんなことがありました

日々の出来事

春はお別れの季節です

 閉校記念式典があったので、その流れで児童と教職員との離任式を行うことができました。今年度は、閉校するということで15名もの先生方が転勤・退職することになりました。それぞれの先生方との思い出がたくさんあるので、子どもたちも真剣な態度で式に参加していました。体育館での見送りの後は、各教室での最後の帰りの会を行いました。そこでは児童も先生も、体育館ではこらえていた涙腺も崩壊していました。

 15名の先生方、4月からもいろいろな場所でご活躍することを祈っております。

閉校に対しての児童代表あいさつ全文

閉校式の中での児童代表あいさつです。

 春の温かい日差しの中、ついにこの日が来てしまいました。

 今日は、小高・福浦・金房・鳩原の小高区4小学校が、閉校する日です。

 小高区4小学校の最後の卒業生となった私たち6年生は、鹿島区のプレハブの校舎に入学しました。そして、3年生の時に、この小高区4小学校の校舎にやってきました。

 ここでは、1つの教室の中に、4種類の運動着を着た友達がいました。もしかしたら別の小学校だったかもしれない友達と一緒に生活できたこと、小高区4小学校だからこそできた思い出がたくさんありました。

 また、総合的な学習の時間にそれぞれの学校のことを学びました。

 小高小学校は、千人もいる大きな学校だったそうです。けれど、休み時間には学年に関係なく、みんなでドッジボールや鬼ごっこをして遊ぶ、楽しい学校だったとお聞きしました。

 福浦小学校は、海の近くにある学校で、毎日5kmも離れた場所から歩いて登校する人もいたそうです。休み時間には、校舎の裏で崖すべりをして遊ぶなど、とても活発な学校だったとお聞きしました。

 金房小学校は、全校生でイナゴ採りをしたり、川原で芋煮会をしたりしたそうです。地域の方々とのつながりをとても大切にする学校だったとお聞きしました。

 鳩原小学校は、1クラスに40人もの児童がいた学校だったそうです。雨が降って校庭がぐちゃぐちゃになると、川原から土を運んで全校生で校庭を整備したというお話も聞きました。みんなで協力し合って生活する素敵な学校だったそうです。

 4つの小学校が閉校してしまうと思うと、悲しい気持ちになる方がたくさんいらっしゃると思います。私たちも、とてもさみしいです。

 しかし、私たちは、多くの先輩方からたくさんの心のバトンを受け取りました。

 先輩方が大切にしてきてくださった、「みんなで仲良く過ごすことの喜び」「つらいことにも負けない強さ」「人とつながることのうれしさ」「だれかのために一生懸命働く心地よさ」これらのたくさんの心のバトンを、私たちはしっかり受け継ぎました。

 多くのことを学ばせてくださった、この小高区4小学校に通えたことを、私たちは誇りに思います。

 そして、4月から「小高小学校」として新たなスタートを切る在校生のみなさん、先輩方から受け取った心のバトンを、この先もずっとつなげていってください。みなさんの頑張りを、心から応援しています。

 最後に、皆さんで一緒に、小高・福浦・金房・鳩原小学校にお礼を言いましょう。私の後に続けてください。

 「ありがとうございました」(全校生:ありがとうございました)

 令和3年3月27日 小高・福浦・金房・鳩原小学校 児童代表  佐藤萌

147年間の歴史のバトンを

 東日本大震災以降10年間、小高区内にある小高・福浦・金房・鳩原の各小学校は、紆余曲折を経て「小高区4小学校」として合同運営を続けてきました。

 しかし、時代の流れで令和2年度を最後に閉校し、4月からは小高小学校が小高区の子ども達、地域のための学びの駅として機能していきます。

 本日の閉校記念式典には門馬市長様を始め多数のご来賓の臨席を賜りまして、立派な式をしていただきました。皆様方からの挨拶の中には小高の地域の素晴らしさや学校の持つ意味・重みなどを感じることができ、大変感激いたしました。 

 

 

 

 

 

 

 大和田教育長様の挨拶の中には、「生まれ変わるための閉校」というものがありました。悲しいだけではなく、前向きな気持ちで閉校することができました。児童代表の言葉の全文はページを改めて全文を紹介していますので、合わせてごらんください。

 式の最後には、小高区4小学校の校歌として小高・福浦・金房・鳩原の校歌の1番を歌いました。最後の校歌斉唱でしたので、児童だけではなく、会場の皆様の力を得て、元気よく歌い上げることができました。147年間分の歴史のバトンを受け継いで、これからも小高区の復興・発展のために頑張っていきたいと思います。4月からは小高小学校をよろしくお願いいたします。